Where the Sun Rises

あなたのことを覚えておくために

2024.4.25

 

週刊新潮 2024年5月2・9日合併号を読みました。

思いのほか内容が詰まった記事だったので、読んでみて浮かんだ考えがぐちゃぐちゃになってどこかへ行ってしまう前に感想を残しておくことにします。

 

東山紀之」独白 「ジャニーズ」補償贖罪の現在地

 

まず大前提として、この記事にある東山さんの言葉は、故意に一部を切り取ったり誤解を招くような表現に変えたりされていないと思いたい。最近のメディアはそこんところ本当にめちゃくちゃなので…

 

今までも記者会見やBBCのインタビューで東山さん自身の言葉に触れることはあったけれど、ここまで彼の個人的な思いの丈は語られてこなかった。そういった場では会社代表者としての説明が求められているわけで、彼がどうしてこの道を選んで、何を感じて補償業務にあたっているかなんてことは本題でなかったのでそれは当然のことだが。

 

そしてその思いの丈に触れて、いま私の頭の中にじわじわと衝撃が広がってきている。

何に衝撃を受けたかというのはおそらく、東山さんも生身の人間であって、今回の件で大変なバッシングに晒されて苦しんでいること。(何をいまさら当然のことを、と思われそう…)

もちろん今までずっと、大変なんだろうなという漠然とした心配の気持ちは持ち続けていたけれど、私は東山さんのことを勝手にスーパーマンだと思い込んでいて、というかそう思いたくて、心ない言葉や逆風を全てはねのけることができる人だと思ってしまっていた。長い芸能生活で色々言われるのはもう慣れっこかなとか決めつけたりして。(なんて身勝手な私、というのは一旦置いておいて)いつの間にか、私の中で東山さんは「傷つかない人」みたいな存在になっていた。元々私は、東山さんはこんな自分と違ってすごい人間なんだ!と思うあまりに、彼を神聖視しすぎる傾向があったのは自覚している。確かに彼の人間性は尊敬すべきものだけれど、だからといって全知全能の神なわけでもないし、感情を持った人間なんだから傷つかないわけがない。我々ファンに届く形で表に出すことがないだけ。東山さんも苦しみながら、あるべき姿を模索しながら、日々の業務にあたっているんだと、この独白を読んで改めて思わされた。

 

それにしても、自分自身がやったわけではないことに対して誠心誠意の謝罪をし、被害を訴え対話を希望する人たち(それも多数)に向き合うというのは、どれほど難しいことかは想像もつかない。特に東山さんはその道のプロではないので、余計に難しく感じているのではないかと思う。記事の中で東山さんは、対話した被害者からのポジティブな言葉でなんとかモチベーションが保たれているとか、被害者からの気遣いの言葉に涙腺が緩むこともあると話している。それは、おそらくプロなら仕事と割り切って臨む対話に、東山さんの場合は感情が動いている、そんな証拠かなと私は感じた。

 

他に記事の中で印象的だった部分は、ご家族についてのこと。奥様をとても信頼していることが伝わってきて、東山さんの近くに信頼できる彼女の存在があることに安心と感謝を覚えた(誰目線?)。

娘さんたちは多感な時期で、ただでさえ父娘の関係性に悩む年頃だろうに (こっちが知らんだけで普通に仲良しかもだけど)、家の外でも父親のことで冷たい目を向けられたりしたら、しんどいだろうな。 彼女らは何も悪くないのだから、理不尽に傷つけられてほしくない。なんか、顔も名前も知らない少女たちにこんな激重感情を持ってしまいすみませんの気持ち。

 

記事を読み終えて一番大きな感情としては、東山さんとその大切なご家族に、心身ともに元気でいてほしいということ。いま東山さんはとにかく目の前の仕事に一生懸命なはず。 誰も引き受けたがらなかった立場にいて神経もすり減るだろうけど、どうか自分を大事にしてほしい。それから仕事だけじゃなくて少しでも安らげる時間があるといいなと思う。

ついこの間まで咲いていた桜を見て私が考えていたのは、東山さんにもこの桜を見て綺麗だと思える心の余裕があったらいいな、ということ。社長である前にひとりの人間として、どうか健康に、そしてできればちょっとでも幸せに生きていてくれたら、姿が見えなくても私はそれでいい。

 

偉そうにお気持ち表明すみません。ここまで読んでくださった方がいたらありがとうございました。